前回を見ていない方はこちらから。
【体験談】高熱出たら右腕が麻痺した ー入院生活⑤ー
退院までもうすこし
あっという間の2日間の外出を終えて、夜に病棟に戻ってきた。
次の日に担当医が来たため、外出で食器を洗うことがしんどかったことを伝えた。
リハビリでも食器洗いがしんどかったことを伝えたものの、そういったリハビリはないとのこと。
それよりも、外泊して洗い物をしていたことに驚かれてしまった…笑
退院までの2週間は今までのルーティンをしていただけなので、ここからはちょっと番外編。
【番外編】リハビリ病棟での1日
リハビリでしていたこと
私が受けたリハビリは
・理学療法
・作業療法
の3つであった。
私はこれ以外に、自主練習も加えていた。
基本的に、夜にリハビリの紙が配られ、訂正があれば翌日の朝に手書きで訂正される。
3つのリハビリは、時間と順番はほぼバラバラであったが、次が詰まっていることもあり、病室に戻らずリハビリ室で待つことも多かった。
これはある日のリハビリ表。
リハビリの横に担当医師の名前が書いてあり、その横はどこでするのかが書かれていた。
基本的には多くのリハビリ患者が集まるリハビリ室でしていたが、たまに病棟内にある訓練室みたいなところですることもあった。
リハビリでしていたことは、ここに書くととても長くなってしまうので、別に書くことにする。
興味のある人は、こちらからどうぞ。
(記事が書け次第更新します。。。)
【ある日の1日】
これは、ある日の一日を表にしたもの。
7:30 | 朝食 |
8:50 | 言語聴覚療法 |
11:10 | 理学療法 |
12:00 | 昼食 |
13:00 | 作業療法 |
14:30 | 歩行 |
15:40 | 文字練習 |
16:10 | 自由時間 |
17:30 | 夕食 |
18:30 | シャワー |
19:00 | 面会 |
19:30 | 自由時間 |
22:00 | 就寝 |
こんな感じで、自主練習ばかりではなく、自分の時間も取りながらしていたため、特にストレスが溜まるようなことはなく、毎日充実した入院生活をしていた。
妻との面会
週に2回から3回、隔日で面会していた。脳出血前に発熱で入院していたM病院では面会すらさせてもらえなかったため、本当にありがたかった。会えるだけでも、ストレスの軽減になっていた。
妻は事前に必要なものを伝えておくと持ってきてくれたり、洗濯物の持ち帰りやお金の工面をしてくれたりと、私の入院生活を陰で支えてくれていた。
仕事帰りにわざわざ病院によって来てくれるため、帰宅はいつも20:30を過ぎていた。
自分の時間をとることも難しく、あとで聞いたら「本当に大変だったんよー!」といっていた。
今の私があるのは、ひとえに妻のおかげだと感じている。
ありがとう。
ということで、番外編終了!
いざ、退院!
原則、日中に退院なのだが・・・
退院は、原則日中にしなければならないといわれたが、妻の仕事の関係で夜じゃないと難しいことを伝えると、OKしてもらえた。
理由として「ハルンさんはいい人だから、今回は特別に許可します。」と看護師長さんがいっていた。
そんな理由でいいのか・・・?
リハビリの先生には何回も「あ、そうか、夜に退院だったね」といっていたため、本当に特別に許可してくれたんだ、と感じた。
退院は夜のため、リハビリと自主練習の合間をぬって準備をした。
そして2020年11月27日、入院から約2か月で退院することができたのだ!
退院した時の解放感は、外泊とはまた違う感じであった。
長かったような、短かったような、私の語彙力では言い表せれないような感動だった。
同時に「もう入院はしたくないな」とも感じた。
その理由は、お か ね である。
入院費ってお高いのね
これを見てもらいたい
約 28 万円!!
2か月分のもろもろ(ICU、最初のころの部屋代、点滴、リハビリetc.)合わせてこの金額であった。しかも、高額医療の対象であったため、減額されての金額である。
入院ってのは、めったなことではするもんじゃないなと、そう思ったのであった。
ちなみに、正式な金額もこれに近いものであった。
解決すべき課題が1つ
退院したことはとても喜ばしいことであったが、1つ解決しなければならないことがあった。
それは、「車の運転」である。
入院中に担当医から「脳出血をした患者さんには、医師の許可がおりないと乗れないことになっているんです。」といわれた。
担当医の話によると、
・また、一定の確率で「てんかん発作」が発症することがある。
・脳出血専門の自動車教習所で講習を受けて、合格する必要がある。
とのことであった。
ということで、入院編は以上!
次回は「運転免許の許可取得に向けて」で記事を書いていきますので、お楽しみに!
以上、ハルンでした!
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